私の海外駐在記 ー上海編 ー 第1回
No.713 2026年9月
海外での駐在経験を通して、現地での暮らしや文化、社会の変化などをご紹介する「海外駐在記」。
今回は、当工業会の長谷川が、三菱電機株式会社から中国・上海へ駐在していた当時の経験を全3回の連載でお届けします。
第1回は、2022年10月から2026年3月まで約3年半にわたる駐在生活の始まりと、ゼロコロナ政策の終焉を現地で迎えた当時の様子をご紹介します。

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1.はじめに
「中国」と聞いて、皆様は何を思い浮かべるでしょうか。
豊かな食文化、長い歴史、急成長を遂げた経済大国、強権的に映る政治体制、濃厚な家族主義と個人主義――。人によって抱くイメージはさまざまでしょう。そして、そのどれもが中国という国の一面であることも事実です。
私は、空調製造工場の開発・生産・マーケティング担当として、2022年10月から2026年3月まで、約3年半にわたり上海に駐在しました。決して長い期間ではありませんが、その間に中国はゼロコロナ政策の終焉、不動産不況、景気低迷など、大きな社会の転換期を迎えました。
本連載では、イチ駐在員として私が現地で見て、聞いて、感じた中国の姿を紹介したいと思います。
2.辞令は突然に――人生初の中国へ
2022年6月、日本では新型コロナワクチン接種が進み、海外出張も徐々に再開され始めた頃のことです。当時、私は日本の工場で、欧州向け空調事業の営業・マーケティングを担当していました。ある日、上司(の上司)から呼び出され、開口一番こう言われました。
「中国に行ってもらうことになった。」
……「??誰がですか?」
これが、それまでの人生で出張でも旅行でも一度も中国に行ったことがなく、業務上での接点もほとんどなかった私の、中国・上海駐在の始まりでした。帰宅後、「いつかは欧州駐在(家族帯同)」を密かに期待していた妻へ報告すると、返ってきた第一声は、「なんで……中国なんや!!」 それはまさに私が上司に聞きたかった質問です(代わりに聞いてくれよ!)。
当時の中国は厳格なゼロコロナ政策の真っただ中。現地下見もできないまま、オンライン語学研修、ビザ取得、住居探し、引っ越し準備などを約2か月半で一気に進め、「できるだけ早く行ってね」という極めておおざっぱ、もといシンプルな会社からの指示に応えるべく、慌ただしい毎日を送っていきました。
3.渡航24時間前、まさかの……
ようやく迎えた渡航日。当時、中国入国には48時間前と24時間前、二度のPCR検査が必要でした。
48時間前の検査は無事クリア。「これでようやく行ける」と安心し、24時間前の検査を終えて成田空港へ向かおうとしていた、その時です。不吉な音を立ててスマートフォンが鳴りました。
「長谷川さん、○○クリニックです。検査の結果ですが、あなた陽性でしたょ。」
冷徹に事務的なトーンで繰り出される驚きの結果に、頭の中が真っ白になりました(本当に頭の中って真っ白になるんですね)。
すでに3回のワクチン接種を終え、しかも異物混入ロット(ステンレス片混入)という「当たり」まで引き、「錆びない男:アイアンマン」になったはずだった私が、よりによって渡航前日に無自覚無症状感染とは。
48時間前は確実に陰性だったのに、24時間後には陽性。24時間での状況変化に「俺はジャック・バウアーかよ!」と突っ込む精神的余裕もなく、すごすごと朝とは逆方向の新幹線で自宅へ戻ることになりました。朝、しばしの別れと上海での再会を誓ったはずの家族と、まさかの自宅で再会。そこに感動は0.1マイクロメートル(cf. 新型コロナウイルスの大きさ)もありません。飛沫感染を避けるため無言(と冷たい視線)で自室を指さす妻に促され、そのまま自宅隔離生活が始まりました。
ちなみに当時は、一度陽性になると陰性証明を取得した上で、さらに3週間を空けなければ中国へ再渡航できませんでした。
「私は一体いつになったら中国へ行けるのだろう(もう行かなくてもいいんじゃないの)」
そんな焦燥感を抱えながら、1か月近くを過ごすことになりました。
4.ようやく上海へ、そしてゼロコロナ下の日常
コロナ感染、陽性から約1か月後。今度はできたての抗体(?)のおかげか、PCR検査も無事通過し、ようやく上海へ入国することができました。
到着して待っていたのは上海郊外での10日間のホテル隔離です。部屋から一歩も出られない生活でしたが、自宅隔離で予行演習を済ませていた私にとってはどうってことはありません。3食のガチ中華弁当を淡々と食べ、Kindleと筋トレで過ごす毎日。それでも隔離が終わり、久しぶりに外へ出たときには、「中国でもシャバの空気はうまい」と実感したものです。
さて、ようやく本当の中国生活はここから始まります。
当時の上海では、72時間以内のPCR陰性証明がなければ、地下鉄にも商業施設にも入れません。街の至る所にプレハブ型のPCR検査所が設置され、人々は仕事帰りや買い物のついでに検査を受けていました。
そこで検体採取作業を行う白い防護服姿の作業員たちは、「大白(ダーバイ:大きな白)」と呼ばれていました。その姿が映画『ベイマックス』のキャラクターに似ていたことが名前の由来とのこと。中国の人々は本当にこういうネーミング・センスが抜群です。また、「大白」の多くは、医療学生や中国共産主義青年団:共青団などのボランティア。積んだ徳は、見えない大きな力によって、いつかきっと返ってくることをみんな期待しています。個人主義を強調されがちな中国社会ですが、社会奉仕をすくい上げる仕組みと仕掛けは、暗黙の了解に支えられてうまく機能しているように感じました。

写真1:隔離部屋から見えた景色

写真2:隔離弁当の数々

写真3:街中の大白(ダーバイ)
5.そして突然、終わりは訪れた
赴任から間もない2022年12月。ゼロコロナ政策は、驚くほど突然終わりを迎えます。
「感染者が増えているらしい」という噂がささやかれ始めたのはその月の上旬、そしてその数日後には、会社でも欠勤者が急増。さらに数日後には、オフィスの半分近くが空席になっていました。
「大量に水を飲めば感染しない」
という明らかに胡散臭い民間療法(本当なら世界中が苦労してないだろ!)を信じてガブガブと水を飲む社員たちが翌日には高熱で欠勤するのを尻目に、数か月前に世界に誇るメイド・イン・ジャパンの抗体を得ている私は淡々と勤務と日本への状況報告を続けました。当時、上海では一日120万人ペース(!)で新規感染者が発生していたとも言われます。人口約2,500万人の都市で、市民の約3割(750万人!)が同時期に感染していたという推計もありました。40名いた私の所属部門も、年末最終営業日には陽性→陰性の復帰者含めて数名しか出社していないという惨憺たる状態です。
一方で、それまで厳格に求められていたPCR検査はいつしか更新されなくなります。
誰から明確な説明があるわけでもなく、人々は状況の変化を受け入れ、社会は新しい日常へ移っていきました。中国の変化は、時として驚くほど速く、唐突、そして大胆です。

写真4:街中のPCR検査ブース
6.「巨変」の国で
中国には「巨変(ジュービェン)」という言葉があります。
戦争、建国、大躍進政策とその挫折、文化大革命、改革開放、そしてゼロコロナ政策とその終焉。社会の仕組みそのものが短期間で大きく変わる出来事を、中国の人々は一度の人生で何度も経験してきました。
だからこそ、「変化は避けるものではなく、受け入れる(受け入れざるを得ない)もの」という感覚が、大きな社会変化を経験することの少ない現代の日本人よりも自然に身についているように感じます。私が上海で最初に経験したゼロコロナ政策の終了も、まさにその「巨変」の一つでした。

写真5:2023年、外灘初日の出
次回は、コロナ後の中国社会で私が目にした、急速なデジタル化、景気低迷、そして変わりゆく日本との距離感について紹介したいと思います。
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