シリコンバレー GAFAMの拠点近くで6年間すごす 「私の海外駐在記 ~アメリカ(前編)~ パナソニック 札場」

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No.700 2024年9月

さて、今回はアメリカです。アメリカでの駐在は民間保険必須ですよ!パナソニック株式会社 札場様海外駐在記をお届けします。では前編スタート!
※こちらの駐在記は前職での内容となります。


過去の海外駐在記はこちらから


1.カリフォルニア州サンノゼに6年間
大分昔になるが、2011年4月~2017年3月の6年間にわたり、米国カリフォルニア州サンノゼに海外駐在を経験した。サンノゼは、サンフランシスコから車で南に約1時間弱の距離にあり規模は小さいながらも国際空港を有し、コロナ前まではANAが日本から就航していた。

気候は年間を通して比較的温暖。夏は日本と同じく、30度以上まで暑くなるものの、乾燥しており、湿度が低く昼間も日陰はひんやりとしており、クーラー要らず。観光で滞在するには最高の場所であったが、仕事ではお客さんの前では冷や汗をかくこと数え切れないほど経験した。


2.Apple本社もほど近い、シリコンバレーの中心地を拠点に
冬以外は殆ど雨が降らず、雲一つない所謂カルフォルニアブルーの晴天が続き、お陰で毎日洗濯物がすぐに乾いた。一軒家の周りには芝生が青々と生い茂るイメージを持たれた方が多いが、これは定期的な水撒きにより人工的に生かされているのが現状で、冬に雨が降らないと簡単に水不足となり翌年の水道代は日本では考えられないほど高額になったこともあった。

シリコンバレーの中心地としてGAFAMオフィスが近くにある地域でもあり、特にAppleの新本社(円盤形状)から車で数分の場所に一軒家を借りて住んでいた。生活水準が高く当時でも住居費、生活費ともあり得ないほど高く、会社から十分な手当を支給されていないと生活はまず出来ないぐらいだった。


3.民間保険への加入は必須。救急車を呼ぶだけで100万円…
7年前一軒家の家賃は$3,800/月ぐらい、今はインフレ、円安でいくらになっているのか想像するだけでも恐ろしい。また、米国は国民健康保険制度がないため、個人で民間保険への加入は必須だが、これも補償の手厚さと保険料は比例しており、未加入だと病院利用時には目が飛び出る額を請求されて払えないとなることもあった。(救急車呼ぶだけで100万円とか…。)


写真1:自宅の裏庭のバラ。
冬を除き、ほぼ年中綺麗な花を咲かせており、
ビール片手に週末に眺めてストレス発散をしていた。



4.英会話はパッション
当時、小職はお世辞にも英語は出来たとは言えないレベルにもかかわらず、何故白羽の矢が立ったのか?

噂では、後述の通り、とにかくタフさが求められ、また常にプレッシャーによるストレスに曝されとても割に合わないことが明白で、同じ職場の誰も手を挙げなかった。

ただそれだけの理由であったが、所謂貧乏くじを引くこととなり、赴任後早速想像以上に思い知ることとなった。

赴任前の社内英語研修でも、ネイティブの講師から、とにかく英語はPassionだと言われたことだけを鮮明に憶えている。確かに、今から振り返ると一番大事なことだったと赴任後に現地で納得した。

タフさが求められたのは、ご存じの通り、米国と日本では時差がある中で、業務を進める必要があったためで、社内人になってから今までで一番働いたと自負している。

具体的な勤務時間と内容をいうと、米国の9時~17時は打合せの事前準備と打合せ、議事作成をこなし、さらに17時以降は日本がAM9時で動き出し、メールやチャット等で接続して現地打ち合わせ内容の共有が日課となっていた。


5.アメリカ人は働かない? 半分は間違い
米国人は、仕事はあまり熱心にしないと事前には聞いていたが、半分は間違っており、米国企業とはいえ、IT系企業のエンジニアはアジア人(中国、台湾、韓国)が大半で、そのため日夜関係なく、とにかくよく働く。

細かな技術仕様の打合せは日本の技術者に入ってもらわないと話が進まず、休日を除きほぼ毎日電話会議を要求され、多いときは連続3回こなして全て終わると翌日の午前になっていることもしばしあった。今(50歳過ぎて)こんなペースでの仕事はおそらく出来ないと思う。

6年の駐在を通して色々と経験、学ぶことはあった。家族帯同で赴任しているため、トラブル発生した時は自分で率先して責任を持って解決しないと何も進まず、何事もどっしり構えるようになった。

その中でも、鮮明に記憶に残っている出来事は2点。



6.そんなことあるの?! 悪評高いU航空での出来事
1点目は、U航空には酷い目に遭わされたこと。ここはサービスが悪いことで有名で、現地人ですら日本へのフライトは日系の航空会社を選択するほどである。

最も酷かったのは、中国(上海)へのフライトだった。

中国の工場で量産までに数回の試作の行程チェックのため、お客さんが工場を訪問するので、通訳兼お客様サポートとして同行していた。

搭乗した飛行機は、フライト前に既にトイレが使用不可状態であったにもかかわらず、そのまま出発し数少ないトイレも故障、止む無くしアラスカに緊急着陸し、そのままホテル宿泊する羽目になった。

翌日シカゴから別の飛行機が来ると言われたものの、その飛行機も故障で来ず。

アラスカに足止めされている間、スーツケースはセキュリティの関係で出してもらえず、着替えやノートPCの電源も出せずで全く仕事が出来ず、結局予定より2日遅れで工場に入り、チームメンバーからはアラスカ観光してきたと言われる始末…。

これは当時日本のヤフーニュースで掲載されたほどで、さすがにフライト代金は全額返還に応じてくれたまでは良かったが、問題は帰りのフライト予約までキャンセルされていた。

帰りは日本経由で中国・無錫 (むしゃく) → 日本のローカルフライトを予約していたが、当日カウンターで無情にも予約なしと告げられた。


7.帰りのフライトまでキャンセル・・・え?!ありえない(笑)
暫くは何が起こったのか理解できず、それでも解決のため交渉したのだが、同じスターアライアンスグループとはいえ航空会社が異なるため、U航空には自分で交渉するように言われた。

離陸間際の限られた時間ではとても間に合わずで結局当日は乗れず。

翌日上海まで移動して新たに予約する羽目になった。なお、米国帰国後にカスタマーセンターで怒りのクレームするものの、航空チケットは全額補償されず散々な出張となった。


後半は「ひどい体験 part2」をお届けします。悲しい~、札場さん、ドンマイ!




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以上
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