中国の大連に行ってくれへんか。28日間の隔離生活「私の海外駐在記 中国・大連 後編」 技術部 安田 透 

印刷

No.693 2023年9月

コロナ禍で海外赴任、中国・大連到着後、ホテルへ連行からの28日間の隔離生活。日本冷凍空調工業会 安田部長による中国・大連駐在記をお届けします。では後編です。前編はこちらから(No.692)



過去の海外駐在記はこちらから


1.冬の大連はつらい!マイナス10度が一週間続く

冬場の大連はやはり寒いです。しかし、雪はあまり降りません。その代わり『からっ風』が相当強く、例えば、日中の最高気温が-10℃の日が一週間続けば、さすがに身体に応えます。

家の中は、全室床暖房が完備、窓ガラスは2重になっていて、年間を通じて、22~24℃でコントロールされているのですが、一歩外に出るともう10分も耐えられない状況です。特に服に覆われていない、顔の部分はもう耐えられません。

なかでも鼻と耳は厳しい。鼻水は出るし、耳はちぎれそうに痛い。皆さんもフード付きのダウンジャケットお持ちだと思いますが、あのフードって日本で使ったことありますか?僕はありませんでした。しかし、大連ではジャケットのフードを被って、マフラーを着用していました。

筆者の冬場のお散歩状況です(写真1)。人相と風貌はあまり良くありませんが。道端の水溜まりはもちろん凍っています。

大連 冬のお散歩
写真1:大連、冬のお散歩



2.海に近い大連。海産物は北と南からとれる
大連が海が近い事と、緯度的に、北のお魚と南のお魚どちらも取れるという事で、海産物が美味しいと言われてます。

正直、日本人に取って、大連は食べ物的に非常に良い街です。中国の中でも一番だと思います。中国東北地方で取れるお米は日本米と近い。

更に大豆は特産品です。なので豆腐と醤油はどこで食べても美味しかったです。日本の食文化と近しいのだと思います。

特にウニは中国で食べた中で『最高の天然ウニ』でした(写真2)。見た目本当に美しいと思いませんか!甘くて磯の香りから鼻から抜けます。


大連 天然のウニ
写真2:天然ウニ



他、鮑、牡蠣、ヒラメ、ブリ(写真3,4)などの海鮮は、非常に美味しいです。もちろん値段は日本の1/3程度です。なんと、鮑とウニは高級食材ではありません。

たぶん、約2年の滞在時期に、生涯分を海鮮を食い尽くした感じがします。写真3~4にて刺身の一例を掲載しておきます。


大連 ヒラメ
写真3:大連のヒラメ


写真4:大連のブリ

3.大連はサクランボも美味しい
美味しいのは、海鮮だけではなく、サクランボ (写真5)が最高に美味しかったです。大連は、山形県と同じようにサクランボの一大生産地で、5~6月になると街はサクランボでいっぱいになります。会社にもサクランボの木が有り、毎年、総務のメンバーが収穫して、社員に振舞っていました。



写真5:大連のサクランボ



喜んだのは僕ら日本人のみで、現地の人は特に何の感動もない様子でした。


4.起伏に富んだ、風光明媚なゴルフ場
大連でのゴルフの話しをします。大連近郊のゴルフ場は、合計で4つしか有りません。中国ではいまだにゴルフは超贅沢なスポーツと位置付けられていて、一部の上流階級のスポーツです。

大連では、年間を通じてプレーすることは不可能で、シーズンは毎年3月~10月まで、冬場はグリーンが凍結するのと、台風のような風で、プレー不可能となります。プレー費用も比較的高価で、1ラウンド約2万円、そこに食事、キャディーさんへのチップ、コンペ参加費用などを合わせると、約3万円ぐらいになります。

ただ、日本のゴルフ場よりも、起伏に富んだ、風光明媚(写真6)で、チョット距離が長めのゴルフ場として、日本人駐在者の憩いの場所となっています。僕はとうとう100を切りませんでした。残念です。

大連 ゴルフ場
写真6:中国のゴルフ場、ちょっと距離が長め



5.大連の歴史的な場所
大連は昔から日本との繋がりが深いこともあり、いくつかの歴史上で有名な場所が有ります。その中で2箇所紹介したいと思います。

まず初めに大連中心部にある直径400m程のロータリー状になった中山広場があげられます。日本統治時代には、大広場と言われ1908年から1935年まで、日本人建築家の設計により、広場の回り、ロータリ状にルネッサンス様式やゴシック様式などの建築物が建てられました。

現在も大連中山広場近代建築群と呼ばれ、中国の全国重点文物保護単位に指定されています。今も当時のままの建造物が残されていて、渋沢栄一が関わったとされる、日本初の外国為替を扱った、旧横浜正金銀行の大連支店の建物(写真7)で、現在は中国銀行として活用されています。


大連 中国銀行
写真7:中国銀行(旧横浜正金銀行の大連支店


また、今は大連賓館(写真8)として使われている旧大連ヤマトホテルなど、他にもいくつか建物が並んでいます。



大連迎賓館 (旧大連ヤマトホテル)
写真8:大連迎賓館 (旧大連ヤマトホテル)



もう1つ紹介するのは、中日友好桜花林(写真9)です。ここは、大連市内から車で40分ぐらいの旅順区にある、203景区(写真10)の中にあります。毎年4月末からと5月初めにかけて、さくらが園一面に咲き誇り、大連に駐在する日本人は必ず一度は訪れる場所です。


中日友好桜花林
写真9:中日友好桜花林


203景区
写真10:203景区


写真は筆者が実際に2022年5月に訪れた時に撮影したもので、たくさんの中国の人達が花見をしていました (写真11)。


大連 2022年花見客
写真11:2022年のお花見客


特に規制も何もないので、木の下でテントを張り、仲間同士の宴会を楽しんでおられました。

ここまで読み進めて頂いた方は、お気付きかもしれませんが、実はこの地は、日露戦争の時にロシアと激戦となった、文字通り203高地なのです。
(と言っても、若い人には全く理解できないかもしれませんが、日冷工の、WEBマガなら大丈夫と思って書いてます。)

203高地の戦場跡は、先ほどの桜花林から、20分ぐらい歩いて山の中に入ったところにあります。記念碑 (写真12)の奥には見えるのは、当時戦争で使った戦車、砲台、銃などの戦備品から取った金属類で作った慰霊塔(写真13)だそうです。



203高地 記念碑
写真12:戦場跡、記念碑




203高地 慰霊塔
写真13:慰霊塔全景



ここで海から攻めてくるロシア軍を迎え撃ったと言われ、その他、砲台や、防空壕、乃木将軍ゆかりの場所などもあります。

また、先ほどの桜花林からタクシーで15分ぐらい、旅順市街には、旧日本の関東軍司令部の建物(写真14)も現存していました。



関東軍司令部の建物
写真14:旧日本の関東軍司令部の建物



ここは、さくらの頃に訪れるのが理想的ですが、日本の歴史も少しだけ身近に勉強できるので、ぜひご興味のある方はお薦めの場所です。



3.さいごに
いかがでしょうか!これが入社して3回目の海外赴任地、大連の滞在記です。
一番初めの赴任地マレーシアに行く前、当時の人事部長が、将来を暗示するように

2回目有るから!って、さらに続けて2回行ったら、3回目有るから!と言われたのを今でも覚えてます。その時まさかそんな事ないよな~と思っていたのですが本当でした。

最近、海外赴任希望者は減っていいると聞きます。それは個人の意識なので仕方ないとは思いますが、僕は海外赴任する機会があるなら、とにかく行ってみる事にしています。

その理由の1つは、たぶん現地社員の皆さん、他たくさんの人々との新しい出会いが有るからだと思います。

僕が海外赴任している間に知り合った人は、本当に数知れず、名前は覚えてないけど顔みたらわかる人は、数えた事ないですが、もう、大変な数です。残念ながら、海外において、現地の皆さんのサポート無しには、1日たりとて生活はできません。

その方々には、国境を越えて、本当に感謝しかありません。

今回ご紹介した、中国大連だけではなく、海外のどの国においてでも同じですが、各国には歴史があり、もちろん日本にも歴史が有り、何が良いとか良くないとかは関係なく、すべてにおいて、相手を尊重することが大事だと思います。そのうえでお互い切磋琢磨することが一番大事。

そんなふうに気付かせたくれた、現地の皆さんに感謝。また3回も海外赴任をさせてくれた会社に、今では感謝しています。

これは帰国当日の空港にて、JALの大連支店長さんとの記念写真です(写真15)。
無事帰国して、4月から日冷工でお世話になっています。これからもよろしくお願い致します。


大連より帰国
写真15:帰国の日



文才もなく、つまらない滞在記にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

最後にこれだけは言えるのですが、もう4回目の海外赴任はありませんよ!                                おしまい、感謝!      



過去記事

アメリカ駐在記(サンデン・リテールシステム 柳澤様)
トルコ駐在記(ダイキン 今泉様)
ドイツ駐在記(パナソニック 小林様)
インド駐在記(日冷工 波多野)
中国駐在記(日冷工 大井手)
インドネシア駐在記(パナソニック 菅沼様)
ブラジル駐在記(日立JC 佐々木様)
台湾駐在記(荏原冷熱 勇様)
中国マレーシア駐在記(日冷工 長野)
ロンドン駐在記(日冷工 笠原)
ノルウェー駐在記(日冷工 坪田)


以上

Topへ戻る