中国の大連に行ってくれへんか。28日間の隔離生活「私の海外駐在記 中国・大連 前編」 技術部 安田 透
No.692 2023年7月
半年ぶりの海外駐在記の更新です!コロナ禍で海外赴任、中国・大連到着後、ホテルへ連行からの28日間の隔離生活。日本冷凍空調工業会 安田部長による中国・大連駐在記をお届けします。では前編スタート!後編はこちら(No.693 2023年9月号)
過去の海外駐在記はこちらから
1.2度あることは3度ある! えっ、本当の話?
中国・大連に行ってくれへんか!
2021年の新春を迎え、年明け初出勤をした日、上司から言われた言葉でした。
60歳定年退職まであと2年弱しか残ってない状況で、3回目の海外赴任内示を受けました。この歳になって、まさか自分自身の海外赴任を言い渡されるとは、夢にも思っていなかったので、まさに青天のヘキレキでした。
大連と言えば、大型ガス空調がメインの事業所で、どちらかの言えばルームエアコン育ちの僕にとってあまり馴染みもなく、どうして僕なのですか?って言ったら、上司の回答は、『ちょっと難しい状況なので、経験豊富な人材がちょうどいいんや~』 って!超関西弁で言われ、え~それだけ!って回答したのを覚えています。
これが僕の定年退職間際の中国出向生活の始まりでした。
2.大連ってどこですか
大連市は、アジア大陸の東海岸に位置し、中国東方遼東半島の最南端にあり、北緯38度43分、東経120度58分で、日本の岩手県とほぼ同じ緯度です。
総人口は670万人で、気候は海洋性の特徴も兼ね備える暖温大陸性モンスーン気候に属し、冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしています。年間平均気温は10.5℃、年間を通じて雨は少なく、カラットして、意外と過ごし易いところです。
写真1:冬の外気温、-13度
3.コロナ渦で海外赴任、大連到着後28日間の隔離生活がスタート!
皆さんも記憶にあると思いますが、コロナ渦において外国に入国した際、各国様々な隔離政策が取られていました。
私が赴任した時期は、世界的に一番厳しい対応されていた時で、もちろん自由に海外を行き来することはできません。中国に行く飛行機は、成田から、たまたま大連にJALが曜日指定で一便就航しているだけ。しかも、到着後28日間に及ぶ隔離政策を推進している真っ只中でした。
実際に2021年5月12日大連空港に到着した後、まず日本から着用してきたマスクを、医療従事者用のマスクに交換するように指示され、そのあと、パスポート確認はもちろん、日本におけるPCR検査レポート、健康状況チェック、所持品確認など、延べ2時間の手続きのあと、そのまま、1つの所に集められ、外の空気を全く吸えないまま、バスに強制連行され、収容所(ホテル)に収監されました。
そこから、28日間、部屋から一歩も出ることが許されない、完全隔離生活のスタートです。
写真2:大連到着後、28日間隔離されたリゾートホテル
写真2は、収容されたリゾートホテルの部屋です。円形のベットってなんやろか?と思いましたが、部屋自体は、明るく開放的で少しラッキー。
そこでの生活は全く囚人扱い。一応ホテルなので、お風呂とトイレと冷蔵庫とお湯、水は問題なし。食事も朝昼夜と、規則正しく、玄関に届けてくれる(いわいるピンポンダッシュ!)ので、その方面は問題なし。お酒やたばこ等、生活必需品はWeChatでフロントにお願いすれば届けてくれます。
ただ、洗濯と部屋の掃除は自前でやる、バスタオルなどの備品は週に1回程度交換してくれるというルールになっていました。
写真3:隔離生活、ある日の食事
写真4:ある日の昼食
写真5:ある日の夕食
写真3~5はある日の食事です。量は中国サイズで、全部食べたら絶対に太ります。
写真6:物販リスト。
4.食事が合わない、気分が晴れない、結構つらい、28日間の隔離生活
毎日の日課は、朝夕の体温チェック報告とたまに強制PCR検査隊が部屋にやって来るので受ける事。あとは何もやることなし。
日本を出発するときは、28日間隔離ってどうなるのだろう~って、超不安だったのですが、初めの1週間は、非常に辛かったのは事実です。2週目辺りから生活のリズムが取れるようになってきて、楽に1日を過ごせるようになりました。
Wi-Fiが完備されていて、日本の携帯が動いた事が救いでした。(LINEとYouTubeは使えませんが。)人間の順応性とは恐ろしいもので、何とか1か月ぐらいはいけるような気がしてきたのは、3週間目を過ぎた辺り。
ただ、食事の味が合わない、気分が晴れない、更に全く身体を動かさないのでお腹が減らない、ご飯が食べられない事で筋肉が落ちる事も相まって、出所する頃には、約5kgぐらい体重が落ちました。これには少し驚きました。
皆さんはご自身が28日間の隔離されたらどうなるか?想像されたこと有りますか?一度経験されるのも良いかもしれません。人生観が変わるかもしれませんよ!(笑い)
僕はもう2度とゴメンです。写真7は、晴れてお勤めを終えて、出所当日の朝、28日ぶりに靴を履いて、部屋の中で喜ぶ僕の足です。
写真7:28日間の隔離をおえた朝
コロナ関連の話は、実はまだまだネタには事欠かないのですが、キリが無いのでもうやめにして、次はすこしだけ仕事の話をします。
5.調達の遅れや、代金の未回収、従業員650名の中に日本人は2人だけ
赴任したところは大型ガス空調機を製造販売する合弁会社で、具体的には、工業用吸収式冷凍機(ABS)とGHP、更に一部VRF室外機を生産して中国国内及び日本に出荷していました。中国国内市場へは、自社の販売部門から、直にお客様に販売することもやってました。
従業員は、中国国内の営業所メンバーも含め、約650名で、日本人は経理社員と僕の2人のみ。僕は経理以外の仕事を全てを担当していました。日系の企業にも関わらず、社長は中国人。親元の日本からは何でも僕の所に来るなか、皆さんと意思疎通は難しい状況でした。
販売したABSの品質が悪い、納期が遅延しているなど色々なお客様から怒られ、一方で世界的な半導体不足の中、日系メーカの部品が未納となり、社内の調達部門と社長からは、まるで僕が日本の国の代表かのように、納期回答を迫られたりもします。
また中国国内で販売した製品の代金を回収出来なくて、法務部門&顧問弁護士と協議の上、お客様を訴訟するケースも多々ありました。
実は人員整理も少しやりました。課題会社が実行する、お決まりの事すべて現地で行いました。赴任前に日本で、当時の上司から聞いた、『難しい状況とは』、このことだったのかと思っててもあとの祭りでした。
写真8:ABSの銅シェル
写真9:ABS組み立て完成
写真10:GHP実験品
写真8と9はABSの製造工程、写真10はGHPの実験の様子です。海外赴任では現地で色々な事が発生するので、やはり『精神力と体力が大事』だという事を、お伝えして仕事の話しは終わり。次は大連の生活についてお話します。
次号後編は9月(693号)につづきます。
■アメリカ駐在記(サンデン・リテールシステム 柳澤様)
■トルコ駐在記(ダイキン 今泉様)
■ドイツ駐在記(パナソニック 小林様)
■インド駐在記(日冷工 波多野)
■中国駐在記(日冷工 大井手)
■インドネシア駐在記(パナソニック 菅沼様)
■ブラジル駐在記(日立JC 佐々木様)
■台湾駐在記(荏原冷熱 勇様)
■中国・マレーシア駐在記(日冷工 長野)
■ロンドン駐在記(日冷工 笠原)
■ノルウェー駐在記(日冷工 坪田)
以上