行ってみました。「日本オリンピックミュージアム」
No.665 2019年10月
東京オリンピック・パラリンピック開催まで既に1年を切り、チケット抽選に一喜一憂した方も多いと思います。この夏は、各地でオリンピック・パラリンピック関連のイベントも開催されていたようで、私も地元で夏休み中にあった1年前記念イベントでブラインドサッカーやスポーツ競技用の義足をつけて歩く体験をしました。
まだまだ先のことと思っていても、日に日に関連のトピックスを目にすることも増えており、あっという間に2020年7月を迎えることになるのでしょう。
写真1: ジャパンスポーツ
オリンピックスクエア外観
さて、本年3月まで当工業会総務部部長でいらした木村俊氏が、日本テニス協会に移られたことがご縁で、その協会が事務所として入居されているジャパンスポーツオリンピックスクエア(東京都新宿区)の1,2階にオリンピックミュージアムが9月14日にオープンしたと聞き、9月の広報委員会の後に見学に行って参りました。
写真2:オリンピックシンボル
オープン後まだ1週間たたぬうちの出来立てホヤホヤのミュージアム見学です。
ジャパンスポーツオリンピックスクエア(ビルの名称)は、新国立競技場のすぐ南側に位置しており、その建物北側(新国立側)の一部、全面ガラス張りでつくられた外観は、美しい流線型で太陽光が射しこむと、キラキラとひときわ目を引きます。その内側は2フロアごとに吹き抜けのフリースペースになっており、新国立競技場が目の前に広がります。とは言ってもこのフリースペースにはセキュリティ上、一般の方は入ることはできず、このビルに入居されている60を超える日本のスポーツ競技団体を始め、日本オリンピック委員会等、関連される方々のみ足を踏み入れることができる空間です。
今回は、特別に入らせていただきました。新国立競技場は、外から見る限りでは、ほぼ完成しているように見え、現在は周辺の整地や道路整備、植栽など仕上げの段階に入っているようでした。
さて、本題のミュージアムですが、2フロアから構成されており、1階ウエルカムサロンはどなたでも無料で見学が可能です。1階フロアに入ると天井部分が視界に入ります。木の温もりが日本らしさを感じさせるこの天井には、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際に各国の選手団が持ち寄った種から育った樹木でつくられたパイン材をルーバーとして採用とのこと。さらに照明のデザインとして、円形が不規則に重なり合い、五輪をイメージさせます。
写真3: 館内エントランス
また、12月25日までは、来年3月から日本各地を聖火ランナーが掲げて走る2020オリンピック・パラリンピックのそれぞれの聖火のトーチが飾られておりました。ラッキーなことに9月20日までの限定で金・銀・銅メダルの展示もありました。
写真4
左:2020年オリンピック聖火トーチ
右:2020年パラリンピック聖火トーチ
写真5: 2020年オリンピック
金・銀・銅メダル
2階は有料となっています。「知る」「学ぶ」「挑戦する」「感じる」「考える」の5つのエリアで構成されており、古代から近代までのオリンピックの変遷や、日本とオリンピックの関わりを様々な角度から紹介しています。プロジェクションマッピングや最新テクノロジーを使ってボルト選手をはじめとするアスリートのスタートダッシュの速さを体験できるゾーンや、スポーツマンシップに則った幾つものエピソードを紹介するコーナーもお薦めです。1936年ベルリン大会をはじめ25大会の特徴あるトーチが一同に展示され、各大会の最終聖火ランナーの写真と共に紹介されており、様々な演出・サプライズを改めて思い出しました。もっと時間をかけてじっくり一つ一つ見たかったです。
写真6: 体験型アトラクション
沢山の展示物の中でも、とても印象に残った物をご紹介します。下のメダルを見て違和感を覚えませんか?このメダルは、向かって左半分が銀メダルで右半分が銅メダルなのです。1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックの棒高跳びの決勝は、日本人二人を含めた五名での争いになりました。金メダルはアメリカの選手に決まり、日本の西田選手と大江選手が2位と3位を争わなくければならなくなった時、二人で相談して、2,3位決定戦をやめることにしました。
当時のルールでは、二人が同じ記録であれば二人とも銀メダルになるはずだからという理由でです。ところが最終結果は、西田選手が銀メダルで、大江選手が銅メダルと発表されました。共にクリアした4m25という記録ですが、西田選手は一回目にクリアし、大江選手は一回目を失敗し二回目でクリアしたからでした。
写真7: 大江選手の遺品の友情メダル
1940年(昭和15年)に予定されていた東京オリンピック(戦争により開催権を辞退)から、試技の回数で順位をつけるというルール変更を予定していましたが、その前のベルリン大会のこの時にも適用されてしまったのです。西田選手は後輩の大江選手を二位の表彰台に上げ銀メダルを受け取らせ、自分は三位の銅メダルを受け取りました。銀メダル獲得者として地元に凱旋した大江選手でしたが、後に本来ならば銅メダルだったという事実を家族が知り、交換を申し出たところ、西田選手の提案で二つのメダルを半分にし、銀と銅をくっつけてそれぞれ持つことにしたそうです。
大江選手は、1941年(昭和16年)にフィリピンのルソン島で27歳の若さで戦死しましたが、その遺品からこの友情のメダルが見つかり、世に知れ渡ることとなりました。西田選手が持っていたもう一方の友情のメダルは出身校である早稲田大学に所蔵されているそうです。戦前に東京でオリンピックが開催されたかもしれなかったということも、今回ミュージアムを見学して初めて知りました。
その後、1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されたことで、例えば、東海道新幹線の開通、首都高速が完成し、カラーテレビが普及して、私たちの生活に大きな変化をもたらしました。今でこそあたりまえの物ですが、言葉の壁を解消する施設ピクトグラムも東京オリンピックから採用され世界に広まりました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月、8月の昨今の気候で考えるとおそらく猛暑の中の開催となり、いまから様々な工夫やアイデアが生まれています。
写真8:1964年東京オリンピックより
採用された施設ピクトグラム
日本オリンピックミュージアムにもぜひ足をお運びください。オリンピアンの偉業や歴史、知られざる背景を知ることで、オリンピックを迎える気持ちが高まること間違いないです。
日本オリンピックミュージアム
■観覧料金:2F EXHIBITION AREA(有料)
一般・・・・・・・・・・・・・・・500円
団体(20名以上/事前に連絡)・・・・400円
シニア(65歳以上/証明書提示)・・400円
高校生以下(学生証提示)・・・・・・無料
■開館時間:10:00~17:00(最終受付16:30)
■休館日:月曜日 ※月曜が祝日または休日の場合は、翌平日休館。他に年末年始、
展示変期間など。
■住所:東京都新宿区霞ヶ丘町4番2号 JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE 1・2F
■電話:03-6910-5561
■アクセス:□東京メトロ銀座線 外苑前駅(3番出口)徒歩5分
□都営大江戸線 国立競技場駅(A2番出口)徒歩10分
□JR中央線(各停)・総武線 千駄ヶ谷駅/信濃町駅 徒歩12分
https://japan-olympicmuseum.jp
以上
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